精読したい本を見つけました。
岡田斗司夫さんが書かれた僕たちは就職しなくていいのかもしれないです。
大阪芸術大学で教えられていた頃は、一番面白い授業と評判で、私は人生の法則で岡田先生のことを知りました。
「就活や会社生活に疲れたすべての日本人に」という本のメッセージが今の自分に刺さったので読んでみることにしました。
第一章を少し読んだだけで、この本は面白い!と感動しました。
ブログを書きながら少しずつ読み深めていこうと思います。
目次とおりに読み進めていきます。
第一章 もう就職できないかもしれない
「就職がしんどい」なんて異常である
大学で先生をしている岡田さんのところには、学生からの相談がよせられるそうで多くが
・友達との人間関係
・将来の不安
・自分ははてしてこれで良いのか?
・ほんとうはなにをしたいのか
・異性の悩み
・家族の悩み
などなどの相談事らしいのですが、大学3年生の後半から4年生になると就職活動になっていきます。
岡田さん曰く、就活は当人ばかりか学生の両親も悩ませていて、
・自分の子どもはちゃんと働いてくれるだろうか
・難しい就職戦線を勝ち抜けるのだろうか
という悩みを抱えているとのことです。
さらに、就職したとしても、大半の人が数年のうちに辞めていく事態に、
『なんという時間と労力、何より「気持ち」のムダなのでしょう。』と現在の就職活動へ嘆きをこぼしています。
岡田先生いわく、
『むかしはこんなことを考えず、もっと「ふつうに」仕事をしていました。当時にくらべて、いまの人間が特別に能力が低いわけではありません。逆に、いまの人間がむかしにくらべて特別に能力が高いわけでもないのと同じことです。』
とのこと。
また、
『今の人はむかしの人ほど頼りがいがないと考えてはダメ。いまの僕たちは、昔の人にくらべて根性なしになったわけでも、特別になったわけでも、意志薄弱になったわけでもない。そうではなくて何かがズレている。』
『就職を考えている若者の過半数が「なんで決まんないのかなぁ、、、」と悩んでいて、決まっている人も「就職できた」と大喜びできず、「これでいいのかなぁ」と半信半疑でいる状態。こんなの異常です。』
とこんな具合に若者の気持ちに寄り添ってくれます。
さらに、
『就職できても次々と辞めちゃったり、そもそも会社に入れない。就職のチャンスを一回逃したら「新卒」と呼ばれなくなって、就活二年目からはさらに就職が厳しくなる。「第二新卒」という枠も最近はあるけれど、たいていはこれまた厳しい転職活動を強いられることになります。』
と現状に対してかなり理解がある様子。さすが学生の相談に乗っているだけありますよね。
いつから「働く=就職」になったのか?
人間が働くとはなんなのかが戦後日本の働き方に言及しながら説かれています。
人間が働くとは必ずしも就職とは限らず、どこかの会社に雇われると自動的に考えているけどそうではないのだと。
曰く、1950年代の日本は、女の人の就職口が少なく、人口のおよそ半分が就職しておらず、男性も仕事の大半は「就職」ではなく家の田んぼや畑を耕す「家業」であり、そのほかは「工事の日雇い」「店の手伝い」など今でいうアルバイト的な雑用だったとのことです。(当時の人口は8000万人)
人口のほとんどが「働いている」けれど「就職していない」
人口の四分の一の2000万人弱しか「就職」はしていなかったとのこと。
女の人は専業主婦をしていたり子育てをしたり"働いて"いました。
岡田さんいわく、今は「結婚」が「働く」という行為の中に入っておらず「就職」を考えているとのこと。
いまは20歳くらいになると全員が大学にいって、「就職しなくては」という状態。
このくらいこの数十年で変わっているのですね。
今の卒業後の進路は決して当たり前ではない。
この数十年のあいだにいつのまにか成立したことなんだと。
ほんとうは「働く」ことが大事なのに、いつの間にか「就職=会社に雇われる」ことばかり考えている。
20歳くらいからの関心事が「就職」にしか向かない変な国になっている。
就職ラクチンの戦国時代、就職氷河期の江戸時代
今度は、働くことが就職に置き換わっている現代の異常さを戦国時代と江戸時代を例に解説されています。
戦国時代と高度経済成長期の日本は似ている、とのことで、共通点は「就職ラクチン社会」
高度経済成長期はあらゆる産業で人手不足。
中学を卒業した人は選ばなければ働き口はどこにでもあり、だれでも働けました。
これは戦国時代も同じで、この時代就職とは、主君に仕えて侍になることで、それ以外はすべて農民をはじめその他の「働く」ことだった。
戦国時代は戦乱で荒れてはいたものの、その気があれば誰でも侍(=就職)になれた時代。就職ラクチン社会でした。
その後、徳川の時代では就職も「どこかの主君に仕える」という点では同じでした。
武士は主君を得てこその武士。そうでない武士は「浪人」と呼ばれました。
岡田さんは浪人を江戸時代の「大卒ニート」と呼んでいました。
この時代の武士は就職が厳しくても「男に生まれたからには」「武家に生まれたからには」と働きながら腕も磨くことを忘れず、「就活」をしていたそうです。
しかし時々「浪人狩り」があって、主君がいない浪人は江戸から追い出されたそう。
一方、武士としての「就職」にこだわらなかった人は働き口はいくらでもあり、
自分で商売を始める人は、棒一本持ってその前後に荷物をぶらさげて商売を始める、といった気楽さ。
その日に思いついて、その日に仕事を始めるのが盛んで、「その日暮らし産業」によって社会が成り立っていた。
一方「就職」にこだわった武士は貧乏暮らしを強いられていた。
大企業神話に取りつかれた新撰組の悲劇
時代は進み、幕末、黒船がきて日本は動乱期に。
就職したかった武士の生き方は二つに分かれました。
①幕府の崩壊という危機に最後のチャンスだ!と就職しようという生き方
②就職を考えずに、それどころか就活をやめて、自分で企業しよう、ベンチャーをやろうという生き方。
①のあくまで就職を望んだ典型例が、新撰組。下級武士であったり、武士かどうかわからないような身分が動乱に乗じてどこかに就職したくなった。幕府や藩といった大企業が崩れてきているのを横目で見ながらも、「本物の侍になれた」「殿様にも会うことができた」「天皇にもお目通りがかなうかもしれない、、、」
こんな悲しい大企業神話に取りつかれた新撰組は、最後に五稜郭で全滅。
もうこれからは民間のベンチャーしか成立しないんだと気づいたのが坂本龍馬や岩崎弥太郎たちだった。
今まで自分たちが持っていた「武士」という身分を捨ててまでも脱藩に踏み切って、ビジネスを始めたり、結果として歴史を動かしました。
これを今の時代とそっくりだと思わないか?と岡田さんは言います。
「明治維新の最中に幕府のなかで出世をめざそうとするのと同じ努力していませんか?」と問いを投げかけます。
あらゆる産業がものすごい勢いで再構築を繰り返す過程で費やす渦中に自分は大丈夫と思うなんて新撰組の悲劇そのものだろうと。
明治になると幕府と藩どころかお家もありません。就職というもの自体が無くなってしまった。家業の農家を継ぐか、国家公務員になるか、ベンチャーをするか、三択しかない時代になったのです。
「就職」の歴史を知ること
冒頭だけでとても濃いお話が次々とでてきて、考えさせられました。
「就職」の歴史を知ることで未来を予測するための手掛かりが見つかるのではないかとおもいましたが、それよりも、就職できないということは、働くことを見つめ直すチャンスでもあるんだなと。
就活は手段に過ぎません。視野を広く持って、自分で納得のいく進路を見つけて欲しいです。
続く。