夏休みは大学の先輩後輩と宮城県の石巻を巡ってきました。この旅の中で、現在は東日本大震災の遺構となっている大川小学校を訪れる機会がありました。
2011年の東日本大震災の津波により、児童74名と教職員10名が犠牲となった宮城県石巻市にある小学校です。学校管理下で起きた最悪の被害となっています。
自分の子どもが大川小学校に通っていて、娘さんを亡くした方が震災の被害を伝える語り部として活動されていて、この語り部の方の話を母校の卒業生の繋がりによって聞くことができました。

瓦礫を取り除き、清掃がされています。汚いままにしておけなかったそうです。


この小学校は、沖合から3.7kmありますが海抜は1m足らずしかありません。当然、地震が起きた際には津波が想定されていました。しかし想定されていた津波の高さは6mでしたが、実際に来たのは10m近い高さでした。(校舎についた跡から確認できるのは8mくらいの高さ)逃げれなかった事の理由には学校の構造にも問題があって屋上が無い作りでした。裏山に避難経路を作った方が良いのではないかという議論もされていたそうなんです。ですが実現はされていなかった。

震災直後のラジオでは、「大川小学校孤立」という報道がされており、語り部の方はてっきり無事なんだという気持ちでいたそうです。山も高台もありそこに逃げていると思っていたのです。ですが、逃げる事はできなかった。
奇跡的に助かった子どもの証言によれば、揺れがおさまって校庭に逃げた後に、なぜか先生たちは話し合いを始めたそうなんです。緊急事態に避難せずになぜ話し合いが行われたのか。それはこの小学校は避難訓練を行っていなかったからなんだそうです。避難警報が鳴る中で、避難には1分1秒を争う中で校庭に待機という判断がくだされていたのです。
下流に津波の様子を見に行った地域の人から、津波が近づいていることを知らされてから逃げ始めたはいいものの、なぜか山ではなくて川の方向へ逃げました。その方向は津波が来る方向だったのです。橋で流れてきた瓦礫等がせき止められ上流に水が流れていくのを阻みました。その結果、予想しない方向から水が流れてきたのです。
近くには逃げる場所がありました。6年生のクラスは災害に詳しい教務主任の先生がいて、もっと高い場所に逃げようとしたのに引き返させたそうなんです。6年生の男の子の中には、海抜が低いので津波が来るからここから逃げようと言った生徒もいたそうですが、先生は注意をして静かにさせたそうです。校長先生は欠席していて指揮命令系統のトップは教頭先生でした。

想定していない方向から津波が来た事や、学校に屋上が無かった事もありましたが、避難訓練を行っていなかった事が最大の要因だったと語部の方が言っていました。
親御さんが学校に子どもを迎えに来た、生徒は助かっていました。近隣住民で山に逃げた人は助かっていました。なのに、子どもたちと先生たちは助からなかった。
安全な場所があっても、人は助からない。という言葉が深く深く突き刺さりました。
この被害は、天災なのか人災なのか。
遺族が起こした裁判は、日本社会そのものを問うものとなっています。

