能力主義について
参加している社会人の朝活で、
能力主義についての記事を読みました。
メッシはサッカーが評価される時代に生きているおかげで評価されている
サッカーがある時代に生まれたから才能が開花した
結果がだせない人のおかげで自分がただ相対的に有能に見えたりするときもあるし、失敗した人のおかげで気づきがあるし、失敗した人を表彰する会社とかあるけど、自分の能力ってだれのおかげなのか、わからないな、と。
ここに組織がいろんな人で成り立つ理由があると感じました。
強みの発見をみんなですれば、その人が自分自身で強みを見つけられる機会が作れるのかなと。
せっかく着想力がある方が、公務員をして与えられた仕事をこなすだけになったり、法務で慎重に物事を判断するだけの仕事をしたりと。
能力主義で成功し続けられる人いないな、成功し続けている人は根本的に違う
自分が成功できたのは自分のおかげではない、本当に成功し続けられる人は自分自身で成功は自分のおかげではないと自覚している。
たかぎ的考察
サッカーがメッシの才能を開花させたように、仕事が能力を生んでいる。
仕事が変われば、職務要件が変わり、学歴、つまり賢いことも、たんなる特徴のひとつになるのではないかと思いました。
また、努力ができることも遺伝で決まってしまっているというのなら、
学力は自分の努力でどうにでもなる、というのは差別になりえるのでは
元々持って生まれたものを否定されながら育つのは辛いことです。
才能開花の機会の提供は、公的な補助が必要なのかなと思いました。
私も就活している人が、頑張れないことを本人だけの問題にしないことを意識したいです。
こうなってくると、努力できないのは医学的な視点から対処法を提案した方が良さそうです。
成功すると立場が下の人の気持がわからなくなると言いますが、自分の成功を自分だけのおかげだと思う人に、成功しつづける人は少ない。自分が成功していっても終的に足元すくわれる。
主催する方から、海外の人が寄付する理由はノブレス・オブリージュと、世の中の批判を避けるためで、だから寄付すると聞いて世界が広がりました。これも成功している人は自分だけの成功だと思わないから寄付をするのかなと。
こういう姿勢を見せないと、自分よりもレベル高い人とかがアドバイスしてくれなくなるそう、これは怖い。
そんなことを学んだ朝でした。