はじめに
皆が面白いことをしよう、面白いことが溢れているこの世の中。
発信する人が増えて、SNSは大喜利化し、面白い人も以前よりも圧倒的に増えている。
私は幼少よりスベッてきた。話にオチがない、つまらない、と言われ続けてきた。
皆が楽しく話しているときに会話に入れないのだ。思い切って入るとシラケる。
ここまでシラケるとだんだんと会話に入るのが挑戦になってくる、ここで生み出したのはヒットアンドアウェイだ。自分ではスベらないように会話に入ったつもりでも、微妙なリアクションをされたらすぐに場を離れるのだ。これがヒットアンドアウェイ。
ヒットアンドアウェイは意外と簡単にできた。流行りの番組や、アニメ、ゲームはその話題に関することを持ち歩くことができればなんとなく会話に参加することができると知った中学時代。しかし実際にそれらを楽しむ約束には呼ばれることは無かった。(#自分だけ知らない約束たち,#ポータブルトピック)
学生時代はこんな風に、ときおり存在感を見せれば適度にクラスになじめている感じも作れたし、浮いている気はしていなかった。もしかするとそうではないかもしれないが。(#同窓会で答え合わせ)
スベリは可能性
ただもしかするとこれはチャンスなのかもしれないとも思う。みんなが面白い人になろうと思っているときに、どうやってもスベってしまうのだから、面白いことが求められているときにスベろうとするのは間違っているだろうか。いや、スベリは可能性だ。
もしどんな人も面白くできるプロデューサーがいたらどう転んでもスベってきた人として、挑戦を受ける。(#どんな挑戦者やねん)
スベっているのに面白い。そんなことがあったら面白い。(#まるで天気雨のように)
最近知ったランチェスター戦略。ひとつの強みを貫ければ生き残れる。それどころか圧倒的に勝てるというのだ。これはものにするしかない。今度はスベらない。 (#頼みの綱はランチェスター)
スベるのは簡単じゃない
最後に子どもの頃からずっとスベってきたスベり屋から、これからスベろうとする人たちに伝えたいことがある。それはスベるのは簡単じゃないということだ。
スベリは、空気を読めない、浮いている、気持ち悪いのではない。スベりはあくまでスベりである。空気読めないね、うるさい、黙ってて、と言われてきた反省から、面白くなくてもいいからせめてスベりたいと改善を繰り返してきたこの私が言うのだ。ただしこの微妙なニュアンスがわかる人はスベりの才能がある。
スベリの道は決して簡単じゃない。