相手への想像力がある人と仕事をしたいと思っていました。
加えて、今は『どんなことを言っても理解してくれる人』といっしょに働きたいと思っています。想像力があることでも理解してくれますが、わからなくても、わかるまで聞いてくれる、そんな人も素敵だと思うようになりました。
論理には、常に良い面と悪い面があるので、論理的であればあるほどずっと行動できません。どこかで論理破綻しないと次に進めない局面がやってきます。そんなときに、役に立つのが、『直感』だと思うんです。そして直感が磨かれるのは自分の頭で考えているときで、それも『納得がいくまで考えた数だけ直感は磨かれる』と思っています。
優秀な人、要領よくうまくやるひとは、たくさんいます。
それ自体の価値はいいと思いますが、それらが生かされるのは『答えがある問題』を解くときだけで、問題に直面したときそれが答えのない問題であればあるほど、優秀な人、要領がいい人の武器は生かされにくいと思う。前例があることを用いて解決するのはうまいかもしれないけど、そうじゃないときに立ちどころにうまくいかなくなってしまう。
私が優秀でない、要領がいい人ではない、から負け惜しみを言っているのではなく、優秀な人が増えているということと言いたいと思います。たとえ負け惜しみに見えても、言いたい。
私は就職活動の支援をしており、面接の指導もしています。
面接突破する学生は傾向があり、それを会得するかしないかによって、内定をたくさんもらえる方とそうでない方の差が開いています。一人ひとり違い、会社も違うのだから、一人がマッチする企業って本来はこんなに多くないはずなのになあと思うときがあります。
就職活動でも大手企業ほど再現性を見極めています。強みや、仕事で同様の局面になったときに、経験が生きるかどうかを推し量るのはとても理にかなっていますが、現時点で採用基準に満たなくても、就職活動をはじめた時期や、面接に落ちてどう改善したのかを聞くことで『志望者が受け答えできないだけで眠っている才能』もいっしょに推し量るべきだと思います。
思うまま書いていたら支離滅裂な文になっていました。これが本来の自分の思考回路ならこれはこれで一興。